DEEP PURPLE Live in Japan / リッチー・ブラックモア サウンドの秘密 #1
リッチー・ブラックモア。
ハードロック好きなら誰でも知ってるギター魔人です。
例によって、ここでは、彼のバイオグラフィー及びプレイスタイルはほぼスルーして、彼のサウンド、しかも、1972年に我が日本に於いて録音制作された「Deep Purple Live in Japan」時のサウンドのみにフォーカスした内容をお届けしようと思います。
というのは、世界中の彼を崇め奉るファンの間でも、このLive in Japanのサウンドは特別で、リッチーのキャリア最高のサウンド、の呼び声もあるほどです。
しかも、同時期のサウンドと比べてもかなり違うことから、長い間ファンの間でも謎とされてきました。
そこを徹底解明することこそ今回のテーマです。
DEEP PURPLE のLive in Japanを初めて聞いたのは1974年、中三になったばかりの頃、14歳でした。実際のライブ開催は、1972年8月、アルバムリリースが12月でしたので、ほぼ、発売1年後に聞いたということになります。
当時は、東京発の情報が地方に届くまでにはかなりのタイムラグあったので、これくらいのズレは当然のことでしたし、私自身、まだほんの駆け出しのロックファンだったので、DEEP PURPLE自体、このアルバムが初体験でした。
同級生で、ギターが上手かったF君が、「学校帰りに絶対聞いていけ」と、普段は静かな彼がやたらと興奮して言うので、その日の放課後、彼の家で聞かせてもらったわけです。
二枚組のアルバムジャケットを眺めながら待ってると、オルガンのファンファーレのようなフレーズに続いて興奮した歓声とともにスネアがリズムを刻み、英語のMCが「Song Called Highway Star Year !!」その直後に入ったサウンド !
「ん? なんの音? 今の」私
「ギターさ」F君
そう、リッチー・ブラックモアが叩きつけるギターサウンドが初めて過ぎて凄過ぎて、何の音かさえ理解できなかったわけです。
Live in Japan 1972「 Highway Star」
そこからの数十分は、まさに夢の中にいるようでした。
音楽を聴いてあんなに興奮したのは後にも先にもないと思います。
何しろ、音楽のことは何も知らないできない少年に、固くバンドをやる(それもハードロックバンドを)決心させたわけですから。勿論、一切の裏付けもなくwww
(大げさに言うならば、Live Japanのサウンドが私の人生を決めたと言っても過言ではないということです。)
そんな風に心を奪われたリッチー・ブラックモアのギターサウンドですが、その核は、その歪みにあったと言えるでしょう。
それは、時を経るに従ってさらに強まって行きました。
彼が、フェンダー・ストラトキャスターというギターと、マーシャル・ギターアンプを使ってあのサウンドを出していることは、結構早くから知ったわけですが、知るほどに謎は深まりました。
フェンダー・ストラトキャスターというギターが、僕らでも手に入る、グレコやアリアプロ2等のレス・ポールモデルなんかより、ずっとローパワーだということ。
なので、レス・ポールのようには到底歪まないこと。
そんなことを、バンド活動の中で少しずつ知っていったのです。
なんせ、当時のギターアンプ事情というのが、現代からすると信じられないくらいに貧弱でしたからね。
私たちが中学時代にバンドで使っていたアンプといえば、テスコとかグヤトーンの全く歪まないアンプに、ギター2本とベース、ボーカルマイクさえ突っ込んで使っていたほどです😥
高校生になって楽器店の練習スタジオに通うようになって初めて、歪むアンプというものを知ったくらいです。
とは言っても、ヤマハの20Wくらいの小さなトランジスタアンプ(おそらくYAMAHA YTA-15 or 25)で、後に知るホンモノのマーシャルアンプの怒涛のサウンドとは比較にもならないしょぼい音でした。BLENDというつまみが、いわゆるディストーションでした。
余談ですが、当時の先輩バンドのギタリストが、このアンプのスピーカーをALTECと入れ替えて素晴らしいサウンドを出していたことを覚えています。
このバンドは、メンバーチェンジを繰り返したのち(このギタリストは既に脱退後)メジャーデビューを果たします。(小生も一瞬在籍www)
だから、レコードから聞こえるディストーションしたギターサウンドを再現するために大変な苦労をした世代でもあります。
エフェクターも、せいぜい、ファズとワウワウくらいしか見たことありませんでしたし、ファズの歪みとマーシャルアンプの歪が全く異なることくらいは中学生でもわかりました。
リッチーや、当時のギタリスト、特に歪んだサウンドを出したいハードロック系ギタリストにとっても、歪むアンプ、もしくは歪むエフェクターは必須でした。
特に、低出力のシングルコイルを搭載したストラトには絶対だったと思います。
ストラトマスターといえば、リッチーも多大な影響を受けたジミ・ヘンドリックス。
(元々ギブソンES-335使いだった彼がストラトに転向したのは間違い無くジミの影響)
ジミもまた、マーシャルアンプを使用していましたが、歪ませるために、ダラス・ファズフェイス等を使用していました。
あ〜、またまた長い長い余談でした。
では、リッチー・ブラックモアはどうやってあの素晴らしいトーンとドライブを手に入れたのでしょうか?
ギターサウンドを決定する要素は、大まかに4つ。
- ギター本体
- アンプ
- スピーカー
- エフェクター
- ケーブル
1のギターに関しては、Live in Japan時、例のスキャロップ加工を施しただけの1971年製のサンバースト・ストラトキャスター(ピックアップは標準仕様)を、全編にわたり使用したことが分かっていますので除きます。
2のアンプに関して。問題はやはりこれです。アンプの影響はとんでもなく大きいです。
当時のリッチーが使用したアンプは、一応はっきりしていまして、Marshall Major Model 1967という200W出力のタイプです。
このモデルが発表直後の1968年から、俗に言うプレキシ期のモデルを既に使用していまして、なんと、1991年までの長きにわたり使用し続けたまさに愛機中の愛機です。
詳細を後述します。
3のスピーカーは、1972年当時、彼が使用したマーシャルキャビネットに収められていたスピーカーは、Celestion G12H-30というタイプでした。許容入力は30Wです。
30W以上入力すると壊れますよという意味です。ここ大事なとこです。
これを計8個ドライブしていました。(トータル許容入力240W)
4のエフェクターに関しては、1970年初頭から1973年いっぱい使用されたとみられる、Hornby Skewes Treble Booster(ホーンビー・スキューズ・トレブルブースター)のみと考えていいと思います。(それ以前は、様々なファズ)
当時のイギリスの有名ギタリスト(エリック・クラプトン、ロリー・ギャラガー、ブライアン・メイ等々)の多くが、チューブアンプとトレブルブースターを組み合わせて望むドライブサウンドを手に入れていましたので、リッチーにとっても当然のチョイスだったようです。
そして、5のケーブル。ギタリストやバンドマンは、シールドと呼ぶことが多いですね。
これもとても大事なファクターです。
実験してみればすぐわかることですが、ストラトなどのエレキギターの多くは超ハイインピーダンスです。これは、繋ぐケーブルが長ければ長いほどハイ落ちします。10mでもかなり落ちます。
リッチーも、当然10m程度のケーブルは使っていたはずです。
マーシャルアンプは、ハイが恐ろしく出るアンプとしても有名ですが、それでもトレブルブースターというミッド以上を持ち上げるエフェクトを使用しました。
当時はそれでも丁度良かったんじゃないでしょうか?
つまり、彼のサウンドを再現する際には、普通の品質の長いケーブルを用意しましょう😉
さて、問題のアンプに話を戻します。
1967年に、多くのギタリストの「もっとでかい音を !」という要望を受けて発表されたMarshall 200 Model 1967(通称、THE PIG)というアンプヘッドが、その原器です。コントロールが、トレブル/ベース/ボリューム、たった三つしかありませんでしたが、開発依頼者の一人、ピート・タウンジェントや、デビッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」でギターを弾いた、故ミック・ロンソンが愛用していました。
ただ、様々な要因欠点から、翌年1968年には、100Wの1959等と同様の仕様を持ったスタイルに変更され、より多くのプロギタリストに愛用されましたが、残念ながら1974年には製造中止になります。
【Marshall Major Model 1967サウンドの検証】
ここでレギュラーなMashall Majorのサウンドを聴いてみましょう。
ギターのボリュームを上げていきながらのプレイなので、ゲインもそれにつれて上がっていきます。あっ、あくまでもサウンド例ということで聞いて戴ければ・・・・(^^;;
因みに、モディファイなしの完全オリジナルの71年製だそうです。ギターは69年製のストラト。
デフォルトで、これだけ歪めば十分な気もします・・・
素晴らしいですねMajor。ダイナミックレンジも広くて、1959や1987より全然いいと思います。
同じ方が、70年製のMajorとレンジマスター・トレブルブースターを併用したサウンドもアップしていらっしゃるので添付します。ギターは同じ69年製のストラト。
ソロのトーンは結構違いますが・・・歪み具合は近いと思います。
原音にほんの少し歪みを足してる感じです。ブーストしても音質はほとんど変わりません。
しかしスゲーなこの方。他にもたくさんのビンテージ・マーシャル・ヘッドを所有されているようです。ウラヤマ〜wwww
さて、1972年 Live in Japan時にリッチーが使用したMarshall Majorとはどんなものだったのでしょうか?
実は、これが最大の謎です。
というのも、上記のサウンドと比べても、やはり何かが違う。もちろん、本人じゃないというのが最大なのは重々承知の助です。😝
つまり、何らかの改造をしていたんじゃないのか?
故に、昔から、リッチーのアンプに限らず、名ギタリストの名演に隠れた機材の真実を探る努力は、様々なジャーナリストたちによって挑戦され続けてきました。
ここで、その成果?であるリッチーのアンプの改造についての話(本人の発言が中心)をまとめてみましょう。
- 出力を500Wに上げた (リッチー談 '73)
- 電圧を上げた (リッチー談 '73
- 幾つかのチューブを足した (リッチー談 '73)
- 別途にステージ(増幅段?)を設けた (リッチー談 '73)
- 出力を250〜300Wに上げた (リッチー談 '78)
- 内部でカスケード(チャンネル1と2を直列)接続した (ケン・ブラン/マーシャルスタッフ)
- 1975年に発表したJCM800 2204&2203(マスター・ヴォリューム仕様)は、リッチーの改造依頼内容が開発のヒントになった (ジム・マーシャル/マーシャル創業者 '90年代)
- Marshall Major本体内にリバーブを内蔵させていた
【アンプ改造疑惑の検証】
1と5の関しては、ちょっとでも電気音響を識っていれば、真っ赤な嘘だということは簡単にわかりますwww
彼が使っていたMashall 1967 Major は、200W出力のアンプです。
これをもし、500W出力に改造したとしても、先に説明したように、スピーカーは、セレッション・G12H-30計8個で使用していましたので、最大でも240Wまでしか入力できない、ということになり(標準つーことです)、500Wや300Wで使用すると、早々にスピーカーが全部吹っ飛ぶ、という、実にあんぽんたんなシロモノということになります。
勿論、当時は、優れたアッテネーター等もなく、マスター・ヴォリュームが取り付けられた痕跡も見つけることはできません。
2の電圧に関しても同様で、設計にない電圧をかけるとアンプは破損します。(当たり前)
これは、後に、エドワード・ヴァン・ヘイレンが同様の発言をし、信じたファンが貴重なオールド・マーシャルを多数破壊したことでも有名です。
(実際は下げた。117V仕様を85Vくらいと言われている。これも機械にとっては望ましくはない)
3と4は同じ意味です。これわ説明する前に、6のカスケード接続と、間接的ではありますがジム・マーシャルが述べた、マスター・ヴォリューム仕様について深掘りしてみましょう。
6のカスケード接続、これもリッチーの要求であるゲインアップ目的の改造の一つで、二つあるチャンネルを内部で直結する方法です。
これは、様々なサイトで既に事実認定されているようですね。
真実はまだわかりませんが。
しかし、これも大きな謎なんすよね〜wwww
なぜなら、マーシャル・メイジャー・アンプのセッティングは、使い始めから最後まで、チャンネルIIのVolumeは常に0だったということが写真資料からはっきり分かっています。
カスケード接続でゲインアップをする場合、チャンネルIがマスター、IIがゲインの役割を果たすので、常に、二つのボリューム両方を上げなくてはいけませんから・・・・
ただし、これ以外にも、ボリューム一つの操作で可能な改造とか? あればの話ですが、可能性としては残すべきポイントだと思います。
そして8。これは、確実にやってますね。ただ、普通のようにエコー効果を付加させるためではなく、アンプを揺らして激しい効果音としてのみ使う目的だったようです。
盟友のジョン・ロードがオルガンをガンガン揺らして派手なサウンドエフェクトをよく出してますから、それを自分でもやってみたかったんでしょうか? 意外にお茶目な人ですwwww
本体サウンドに大きな影響はありませんからスルーします。
問題は3.4のチューブ増設です。
本稿を書くにあたって、実際のサウンドからばかりでなく、様々なネット情報や音楽雑誌等の書籍類から多くの情報を得ましたが、決定版ともいうべき集大成的雑誌が、シンコー・ミュージックより出版された「ザ・ギターマン / RB's Guitars」です。
これには、デビューから現在までに使用した数多くのギター等の楽器、エフェクト、アンプ等がずらりと掲載され、適宜解説付きです。
この中で、Marshall Majorの写真や解説も結構あったのですが、残念ながら1980年以降のものしかなく、肝心の1972年時使用のものはなかったので、さらっと読み進めたんですが、そこに一点気になる写真があったのです。
1980年の写真で、Majorを裏から撮ったものなんですが、説明に、4番目のチューブが増設されている・・という一文を発見。勿論、目を皿のようにして見たんですが、4本の
チューブは見当たらず、ん? ミスなの? とか思ってしまったわけです。
思ったのにはもう一つ理由がありまして、自身、マーシャルアンプの大ファンで、Super Lead 100W Model 1959 1971年製を保有しているんですが、そのチューブ配置とMajorの配置がちょっと違ってたんです。
Marshall Super Lead 100W Model 1959
Marshall Major 200W Model 1967
左側から、銀色の円筒形が三本並んでいるのがプリ・チューブです。
1959に比べて1967は、全体的に内寄り。
4本のプリチューブが確認できると書かれていた、リッチーの1980年のMajorでは、写真の角度で一番内側のチューブが見えず、3本しか確認できなかったんですが、1984年のMajorにはしっかり、4本のプリチューブが確認できました。
これで、1980年には、確実にプリチューブが増設されていたということが確認できました。他にもちょこちょこ改造してました。
ACケーブルをXLRコネクターにしていたり、予備用ヒューズソケット?(二本一組×2)を作ったり・・・
しかし、問題は、1972年のLive in Japan時にどうなっていたのか? ということです。
【増設プリ・チューブの検証】
やはり、サウンドを聴いて判断するしか道は無さそうです。
まず、確実にチューブが増設された1982年の音源より、Rainbow Live in Antonio '82 「Smoke On The Water 」
同曲を、Deep Purple 1975年のParis Liveより、そして真打、Live in Japanより、おまけに、Live in New York 1973より、続けて添付します。パリのライブを入れたのは、ブースターをAIWAのテープレコーダーTP-1011に変更し、それに伴い、アンプにハイパスフィルターを入れたことか判明しているのですが、基本になる音に、それほど大きな変化がないように思うからです。
73年版は、72年版とほとんど同じセットである上でのサウンドの違いの検証のためです。
そして、それらを踏まえ、72年時にプリチューブが増設されていたのか?
これを検証してみたいと思います。
Rainbow Live in Antonio '82 「Smoke On The Water 」
Deep Purple Live in Paris '75「Smoke On The Water 」
Deep Purple Live in Japan '72「Smoke On The Water 」
Live in New York 1973「 Smoke on the Water」
さあどうでしょう?
82年のは、歪み過ぎてレンジが狭いというか。はっきり言って、魅力的とは言い難いサウンドです。
マーシャルアンプの魅力は、嚙みつき具合とか、レンジが広いところとか、実はあまり歪んでないのに、超強力なサウンドがするところだと思ってるんですが・・・
リッチーも人の子、時代の流行り(80年代は、ヘヴィメタルブームが到来し、誰も彼もが更なるハイゲインサウンドを求めていた)に乗ろうとしたんでしょうか?
ギターが全然違うのも大きいと思います。(リッチー自身は歴代1番のお気に入りだったらしい)
- 1974年製ストラトキャスター(ボディがライトアッシュの可能性?)
- ローズネック(それまでは張りメイプルネック)
- シェクター製ピックアップ (それまではFender製)
ギターも違えば、バンドも違うし、ステージ環境も大きく違いますので、単純な比較などナンセンスなのは承知の上ですが、根気よく一つ一つ可能性を絞り込んで行くしか道はありません。
75年版は、やはり、AIWAテープレコーダーの威力がはっきり出ていて、実に荒々しく歪みも増えつつも、リッチーらしいさは十分にあるサウンドです。
が、録音やミキシングの差だと思いますが、細くてヒステリックです。
73年版は、まずゲインが低く、とても細くなってますね。ハウリングがよく起こっているようなので、ボリュームを下げているのかもしれません(ゲインが低いのも細いのも同じ理由。古いマーシャルはボリューム位置によってローの出方が変化する。Vol小(細)→Vol大(太))。
全体的にローが少なく(これは録音ミキシングの違いも大きい)、とても、72年Live in Japan時とほぼ同じ機材とは思えないサウンドです。
で、真打、72年Live in Japanでは、全然違うサウンドです。
ローが分厚く、ハイもしっかりある、レンジの広いサウンドです。
特に、ソロにおけるサウンドの美しさ。リアもフロントも実に艶やかで伸びやかです。
これだけ聞いても、Live in Japanのサウンドが特別なのがはっきりわかります。
実際、You Tube上でRainbowになってからの音源も年を追って聞いてみたんですが、1978年までは、75年時のサウンドをそのまま保っていますので、やはり、79年か80年に大きな変革があったのだろうと推測できます。
断定はできませんが、82年版の変化はプリチューブ増設が原因で間違いなさそうです。
【リッチー仕様改造といわれるサウンドの検証】
さらにここで、'69/'70当時、マーシャル工場のダドリー・クラヴィン?とケン・ブランがリッチー・ブラックモアのために施した改造を再現した、というアンプと、ホンビー・スキューズ・トレブルブースターも再現し、アンプのみ、ブースターありの比較音源がYou Tubeにありましたのでご紹介しましょう。
残念なことにどんな改造をしたのかは説明がありませんが恐らくカスケード接続改造を施しています。
サウンドはとても良いと思いますが、もうちょっとハイがあったほうが近いですね。
ピッキングやフィンガリングの違いを考慮すれば、かなり近いんじゃないでしょうか。
ここでは、トレブルブースターは、使ったり使わなかったりという可能性も示唆してくれていました。
直のサウンドも十分歪んでるので間違い無くカスケード接続によるゲインアップを行っているようです。残念ながらボリューム位置は特定できません。メールでも送ってみようかと思います。(もし結果が出たら、本ブログにて発表します)
ところで、リッチーのブースーターも、実は、いろいろ手が加えられています。まず、ゲイン可変可能なボリュームが取り付けられていること。サウンドの肝である、トランジスタを、ゲルマニューム、シリコン、と使い分けている。つまり、音色も通り一遍のものとは比較ができない、ということになります。このこだわり、当たり前ですが、さすが一流のプロは違います。
個人的には、ギターサウンドの肝は、ボリュームを絞った時にこそ現れると思っています。
歴代の名ギタリスト達のサウンドは、まさにそこを外しません。
エリック・クラプトンやジェフ・ベック、ラリー・カールトン、エドワード・ヴァン・ヘイレン、どんなジャンルの名人も、ボリューム絞った時の美しいクリーントーンを大事にしている気がします。
勿論、リッチーのLive in Japan時のそれも、素晴らしい鈴なりのクリーントーンが随所で聞けます。学生時代、これも実に不思議に思ったものです。使っていたアンプからは決してそんな音は出ませんでしたからwww
ところが、82年版のリッチーサウンドでのクリーントーンは、かつての鈴なりはなくなりクリーンになりきれずミッドレンジに寄ったサウンドになってしまっています。
プリゲインを稼ぐとどうしてもこういう音になります。
マーシャルの魅力はやはり、プリチューブの歪みだけではなくパワーチューブのサチュレーションなんです。このバランスが崩れるとサウンドが汚くなります。
実は、ホーンビー・スキューズではないですが、当時のトレブルブースターを再現したKeeley(キーリー)のJava Boostというブースターを持っていますが、歪ませた音は中々でも、ボリューム絞ってクリーンすると、やはり、クセが出るんですね。それに特有のノイズも。
アンプ本体のボリューム操作で得られるクリーンサウンドには決して勝てません。
リッチー改造のブースターはどうだったんでしょうか?
何れにしても、私自身は、Live in Japan時は、既にトレブルブースター使用率はかなり減っていたのでは? と思っています。
【リッチー使用トレブルブースター・サウンドの検証】
そこで、確実にブースターを使用しているんではと思う、リッチー本人のLive in Japan時の楽曲と、当時の別のライブのそれとを比較してみましょう。
では、まずは、東京公演の直前、1972年3月に行われた、デンマーク・コペンハーゲンにて行われたライブより「Black Night」。同じ曲を、1972年 Live in Japan より、続けてどうぞ。
Live in Copenhegen 1972「 Black Night」
Live in Japan 1972「 Black Night」
いかがでしょう?
二つのBlack Night、どちらも非常に激しいですね。それに、ハウリングもかなり起こっています。
これは、アンプのボリュームを上げたのか? ブースターのレベルを上げたのか? その両方か。何れにしても、ライブのエンディング、アンコール時ですから、目一杯やってやる感が素晴らしいですね。THIS IS ROCKですwwww
まず、'Live in Copenhegenでのサウンドは、実に荒々しくてぶっとくてエッジが効いたロックなサウンドで、Live in Japanにも決して引けを取らない素晴らしいサウンドです。
(これが先に世に出ていたならどんな評価だったんでしょうか? しかし、ボーカルのピッチが甘かったのが出なかった理由かも? )
'Live in Japan 時のテイクですが、このバージョンも、本編ではお蔵入りになったんですが(ライナーには演奏が激しすぎるあまりに〜とありました😏)、余りの人気に、1975年「24CARAT PURPLE」という寄せ集め的ベストアルバムに入り陽の目を見ました。
さすがに凄い迫力です。コペンハーゲンバージョンと比べると、より激しく荒々しいプレイですが、サウンドは、よりクリアかつスムーズです。
これは、本体のサウンドというより、録音・ミキシングの差といった方が正しいと思います。
ちょっとここでひとまとめ。
- カスケード接続改造を行いゲインアップを図った
- トレブルブースターをゲイン可変改造をし、トランジスタ別に使い分けていた
- トレブルブースターのON、OFFの可能性あり
- 現代と違い、それほど品質のよくないケーブルを長い距離で使っていたので、丁度良いくらいハイがカットされていた
結局、Live in Japanのサウンドが特別なのはリッチーのサウンドが素晴らしかっただけでなく、時期的にメンバー全員脂が乗り切っている頃で、レパートリーも十分練り上げられ熟練されているため、スタジオ盤とは比較にならない圧倒的な迫力と熱気を聴衆に届けられたことが、伝説になった真の理由な気もします。
まさに一期一会のサウンドだったのだと確信します。
しかも、当時はストックホルムライブのような音源は、発表されることなく秘匿されていましたので、比較対象がスタジオ盤しかなかったことも大きかったと思って間違いないでしょう。
また、リッチーは、スタジオ録音とライブでは機材を変えていました。
それは今も昔もごく普通のことなんですが、一般的にはそうは思われなかったのでしょう。
因みに、「Smoke on the Water」は、VOX AC30で録音した、とリッチー本人がはっきり言っていますし、サウンドからも明らかにマーシャルではありません。
では、現在のように情報が多くあれば、Live in Japan のリッチーサウンドの謎は生まれなかったんでしょうか?
それは否です。
今現在でさえ、この演奏、サウンドに色褪せた感は微塵もありません。
数々の名手による名演の中でも、ひときわ燦然と輝く光を放ち続ける伝説として、ジャンルを問わない名プレイヤーたちからの数多くの賛辞が、そして、世界中の彼を崇拝するギタリスト達が、あるいはアンプテクニシャン達が、あのサウンドを追求することをやめません。
まだまだ謎は残されています。
これまで見てきたように、彼自身と彼を取り巻く環境を追求してきました。
そしてある程度の結論が出ました。(これまで多くの方が導き出してきた説でもあります😅)
残るは、あのサウンドが、どのようにして記録されたのか?といことです。
つまり、録音技術にこそ鍵がありそうです。
ついに本音が出ました ! ! これでこそエンジニアのブログです。(謎の自慢www)
これまでの長い間、おりにふれ、この謎に関係しそうな記事やニュースを追ってきましたが、録音方法に関するニュースは聞いたことがありませんでした。
Live in Japanは、作品としての質感(演奏、録音、ミキシング、音質)が、他作品と桁違いに素晴らしかったことが、伝説になった大きな理由だったのではないでしょうか。
DEEP PURPLEは、その後、メンバーを大幅に入れ替え、第3期に突入しますが、最高と言われた第二期に劣らない活躍を見せます。
その頂点でのライブが残されています。「Maid in Europe」
(因みに、このライブは、1975年4月4日〜7日の間に、フランスのパリで収録されたものの中からセレクトされたようですが、最終日の7日終演後、リッチー・ブラックモアはバンドを脱退します)
同じエンジニア録音による、二つのライブアルバム。
リッチーのサウンドの質感はどう変化したのでしょうか?
まさに、その質感の違いにこそ、このLive in Japanが、特別なギターサウンドになった理由が隠れているような気がします。
そこを、深掘りして参りましょう。
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