投稿

8月, 2020の投稿を表示しています

DEEP PURPLE Live in Japan / リッチー・ブラックモア サウンドの秘密 #2

イメージ
 さて、お盆を挟んで時間が開きましたが、リッチー・ブラックモア Live in Japan サウンドの秘密第二回を始めましょう。 第一回はこちら→   前回では、当時(1972年8月Live in Japan時)使用したリッチー(演奏者)サイドから、そのサウンドの成り立ちを紐解いて行きました。重複しますが、纏めます。 【リッチーの使用機材】 1971年製 Fender Stratcaster (メイプルネック/スキャロップ加工指板/オリジナルピックアップ/特注極太アーム/サンバーストフィニッシュ) 1968年製 Marshall  Major  Model 1967(KT88 Power Tube/200W output/Reverb Unit 増設 )    ※内部カスケード接続改造有り ホーンビー・スキューズ トレブルブスター(ボリューム取り付け改造) 彼が残した音源、彼自身及び、関係の深かったマーシャル社の社長やスタッフの証言、世界中のリッチーファンが追求し作り上げた、リッチー仕様の改造マーシャルアンプのサウンド等、実に様々な角度から、謎とされるLive in Japan時のサウンドを追求してきました。 ここまでで残った疑問は一点のみ。内部カスケードはあったのか?なかったのか? という点ですが、リッチーのMarshall Majorのセッティングから、どうしてもやっていたという確証は得られませんでした。 しかし、マーシャルアンプのゲインアップは、リッチー第一の要望だったのは間違い無いですし、ノーマルのストラトとマーシャルアンプでは、やはりゲイン不足は否めなかったでしょう。また、当時、リッチーが理想のサウンドを得るべく、足繁くマーシャル工場へ訪れたとの証言も多くありますので、恐らく、何らかの方法でカスケード接続等の改造が施されていたた、と今回は結論付けます。 また、トレブルブースターにはボリューム取り付け等の改造も施されていたので、音質改善も同時行われていたと推測できます。 しかし、断定はできませんが、この時のリッチーのサウンドの素晴らしい点として、ギターボリュームを絞った際のクリーンサウンドがあります。 このサウンドが、ブースターを使っても出せるのか?  普通だと出ません。必ず何らかの癖がつきますし、ノイズも当然大きいです。これをどう解決したのか ?  ブース

DEEP PURPLE Live in Japan / リッチー・ブラックモア サウンドの秘密 #1

イメージ
リッチー・ブラックモア。 ハードロック好きなら誰でも知ってるギター魔人です。 例によって、ここでは、彼のバイオグラフィー及びプレイスタイルはほぼスルーして、彼のサウンド、しかも、1972年に我が日本に於いて録音制作された「Deep Purple Live in Japan」時のサウンドのみにフォーカスした内容をお届けしようと思います。 というのは、世界中の彼を崇め奉るファンの間でも、このLive in Japanのサウンドは特別で、リッチーのキャリア最高のサウンド、の呼び声もあるほどです。 しかも、同時期のサウンドと比べてもかなり違うことから、長い間ファンの間でも謎とされてきました。 そこを徹底解明することこそ今回のテーマです。 DEEP PURPLE のLive in Japanを初めて聞いたのは1974年、中三になったばかりの頃、14歳でした。 実際のライブ開催は、1972年8月、アルバムリリースが12月でしたので、ほぼ、発売1年後に聞いたということになります。 当時は、東京発の情報が地方に届くまでにはかなりのタイムラグあったので、これくらいのズレは当然のことでしたし、私自身、まだほんの駆け出しのロックファンだったので、DEEP PURPLE自体、このアルバムが初体験でした。 同級生で、ギターが上手かったF君が、「学校帰りに絶対聞いていけ」と、普段は静かな彼がやたらと興奮して言うので、その日の放課後、彼の家で聞かせてもらったわけです。 二枚組のアルバムジャケットを眺めながら待ってると、オルガンのファンファーレのようなフレーズに続いて興奮した歓声とともにスネアがリズムを刻み、英語のMCが「Song Called Highway Star Year !!」その直後に入ったサウンド !  「ん? なんの音? 今の」私 「ギターさ」F君 そう、リッチー・ブラックモアが叩きつけるギターサウンドが初めて過ぎて凄過ぎて、何の音かさえ理解できなかったわけです。 Live in Japan 1972 「 Highway Star」 そこからの数十分は、まさに夢の中にいるようでした。 音楽を聴いてあんなに興奮したのは後にも先にもないと思います。 何しろ、音楽のことは何も知らないできない少年に、固くバンドをやる(それもハードロックバンドを)決心させたわけですから。勿論、一切の裏付けも